
本記事では、
子どもに買う偉人伝、どれがおすすめかな?という方や、
旅行に行く前に、台湾のことを知りたいという方向けに、
『八田與一ー東洋一のダムを作った日本人』(小学館学習まんが, 2011年)をご紹介します。
■本記事の内容
- 隠れた偉人・八田與一とは?
- 日本統治時代の台湾について八田與一を通して知ることができる
- 八田與一像が破壊された時、台湾で大問題に。
- まとめ
子ども向けの学習漫画の偉人伝では、さまざまな時代、国の人が取り上げられています。
我が家でも、少しずつ買い揃えているところです。

その中でも、隠れた偉人伝がこちら。

八田與一(はったよいち)
偉人伝の中では、まだまだマイナーな人物ですが、こんな方が100年足らず前にいたんだと感動する一冊です。
小籠包やタピオカミルクティーだけではない、台湾と日本の結びつきを知ることができますよ。
ちなみに、本記事を書いている私は、家族で2016年から3年間台湾・台北に住んでいました。

うちの子たちは台北日本人学校に通っていましたが、学校では日本と台湾のことについて学ぶ機会がたくさんあります。
そこで必ず学ぶのが八田與一氏のこと。
長女は、小学校の修学旅行で、台中や台南に行き、八田與一紀念公園で八田與一像に献花もしました。
『八田與一 東洋一のダムを作った日本人』では、八田與一氏の生涯がわかりやすく描かれています。
『八田與一 東洋一のダムを作った日本人』(小学館版学習まんが)もくじ
- プロローグ
- 第一章:日本から来た土木技師
- 第二章:常識破りの建設計画
- 第三章:結婚とダム建設準備
- 第四章:東洋一の烏山頭ダム
- エピローグ
- 学習資料館
- 写真でたどる八田與一
- 烏山頭ダム 建設の軌跡
- 解説・烏山頭の思い出 八田綾子
- 八田與一への感謝と敬意 蘇俊雄
- 年表・八田與一の時代
隠れた偉人・八田與一とは?

八田與一氏(1886年〜1942年)とは、台湾南部、台湾島内最大の嘉南平野に「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」を築いた人物です。
八田與一氏が生きたのは、日本が台湾を統治していた時代(1895年〜1945年)でした。
「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」とは、東洋一のダム「烏山頭ダム」と、4000以上の水門や橋、堤防、そして、平野に網の目のように張り巡らされた1万6000キロにもなる水路全体の名称です。
1万6000キロというのは、万里の長城の2倍の長さ。
灌漑した面積は、15万ヘクタール。
これは、東京23区の2.5倍の大きさ。
香川県丸ごと一県の大きさと同じ面積です。
その規模の大きさに驚きます。
総工費は、現在の金額で5000億円にもなる巨大工事でした。
この「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」によって、それまで不毛の地だった嘉南平野は豊かな土地となり、今も台湾有数の穀倉地帯となっています。
「日本精神」を体現した人物

ダムをはじめとした「嘉南大圳(かなんたいしゅう)建設」の功績はもちろん、八田與一氏が偉人と言えるのは、その人柄、生き方、思想、つまり人間として非常に優れた素晴らしい人物だったからです。
1895年から日本が台湾を統治するまで、台湾の人々は、オランダや清朝などの支配で辛酸をなめてきました。
そのため、嘉南平野に一大水路を建設するという八田氏のことを、初めは信用しませんでした。
しかし、「台湾の農民たちのために」という言葉の通り、寝る間を惜しんで働く八田氏の姿に、嘉南の人々も厚い信頼を寄せ、協力するようになったのです。
全ての工事が完成するまでに10年の歳月がかかりました。
完成した嘉南大圳は、当時の土木事業としては、非常に画期的かつ大規模なもので、アメリカの土木学会でも絶賛されたと言います。

10年間の工事中、事故も含めて犠牲になった人々は130人以上。
嘉南大圳(かなんたいしゅう)完成後に建てられた慰霊碑には、日本人、台湾人の区別なく、名前が刻まれました。
技術者として圧倒的に優れた能力を持っていただけでなく、こうした、
肩書や人種、民族の違いによって差別しなかった(中略)
義を重んじ、誠をもって率先垂範、実践躬行する日本精神
『武士道解題』李登輝, 307-309ページ
によって、八田與一氏は日本人からも台湾人からも敬愛され、日台友情の象徴になっています。
※「日本精神」とは勇気、誠実、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法、清潔といった精神のことを言います。
日本統治時代を知る台湾の人々が、日本人の精神性をそのように称してくれている言葉です。
日本統治時代の台湾について、八田與一を通して知ることができる

台湾については、「日本が植民地にした」という説明がされることがあります。
事実、1895年から1945年までの50年間、日本が台湾を統治しました。
統治する側、される側に、様々な軋轢の歴史があったことも事実です。
しかし、欧米各国が行ったいわゆる「植民地政策」とは、大きく異なっていたのが、日本の台湾統治でした。
その一例でもあるのが、八田與一氏が手がけた「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」事業です。
もちろん、嘉南平野が穀倉地帯になれば、日本国内の米不足に役に立つという算段もあったと思います。
しかし、それ以上に嘉南の人々の暮らしを豊かにしたいという八田氏の思いに嘘はなかったからこそ、今でも八田氏の命日には慰霊祭が行われているのだと思います。
また、八田氏の壮大な計画を実行した、台湾総督府(当時の台湾を統治するために作られた日本政府の出先機関)、そして日本政府。
単に搾取のための「植民地」ではない、日本の統治の仕方が、嘉南大圳をみても感じられると思います。
八田與一氏は、「日本精神」を体現している日本人の一人であり、台湾の日本統治時代について、大人が読んでも勉強になる学習漫画です。
日本・台湾の近現代史の入り口として

台湾の教科書にも載っている八田與一氏ですが、日本で知られるようになったのは、司馬遼太郎氏の『台湾紀行』や、台湾の李登輝元総統が著書などで言及されるようになってからです。
また、最近では、台湾でヒットし、日本でも話題になった映画『KANO』。

これは、台湾の嘉義農林学校の野球部が、甲子園に出場したという実話をもとにした映画です。
(これもとてもいい映画です!😭また別途ご紹介します)
この映画で、大沢たかおさんが、八田與一を演じて話題になりました。
まだまだ日本での知名度は高くありませんが、学習漫画やアニメーション映画にもなっていて、もっと多くの日本人に知ってもらいたい偉人の一人です。
八田與一氏のことから、日本と台湾の近現代史を知るきっかけになると思います。
八田與一像が破壊された時、台湾で大問題に。

そんな日台の絆の象徴とも言える八田與一像が、なんと頭部が切り落とされるという事件が起きました。
2017年4月16日のことです。
当時、我が家がちょうど台北に住んでいる時でしたが、新聞やニュースで連日大きく取り上げられていましたし、とてもショックな出来事でした。
犯人は、中国との統一を目指す親中派の地方議員。
もともと反日的な言動で問題となっていた人物でした。
反日活動への憤りもありますが、それ以上に、八田與一氏を慕い、70年以上大切に像を守ってきてくださった台湾の人々の思いを踏みにじる行為であることに、許せない思いでした。
「八田與一氏の銅像破壊、台南側・1週間で修復」心が痛くて、言葉を出せない!没後75年、5月8日慰霊祭を行うのに、終戦後国民党が銅像を破壊する時に台湾人必死に守って来たの、常に恩義を忘れずな台湾人にとって、信じられない!/ _ ; 台湾人とは思えないなあ、早く犯人を逮捕してほしい! pic.twitter.com/pS4Sk3r4AB
— ☆Chris*台湾人☆ (@bluesayuri) April 16, 2017
その後、台湾の実業家・許文龍氏のご厚意により、すみやかに八田與一像は修復され、今は元どおりになっています。
まとめ
本記事では、『八田與一 東洋一のダムを作った日本人』(小学館版学習まんが)をご紹介しました。
- 隠れた偉人・八田與一とは?
- 日本統治時代の台湾について八田與一を通して知ることができる
- 八田與一像が破壊された時、台湾で大問題に。
一人でも多くの子どもたちに伝えたい偉人伝の一つです。
子育て世代はもちろん、もっとたくさんの日本人が、八田與一氏の生涯から学んでいくことが、日台の絆をさらに深めることになると思います。
ぜひ手に取ってみてください。